テジョン元都心(旧都心)の近代建築物
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今日はテジョン駅周辺に残っている日帝植民地時代の建物を訪ねようかと思っています。
この近代的景観の建物はほとんど元都心に位置しており、現在はテジョン市文化財に登録されています。
ある人は「日帝時代に立てられた建物だからやはり丈夫だよね」と感嘆しますが、韓国人にとって、歴史の大きな一部分を
占めている辛い思い出の一つでもあります。
元都心を観光するとき、その歴史の跡を探って見ませんか?
時々日本からお年寄りの方が昔の思い出をたどるために訪問することもあると聞きました。
1. 忠清南道知事公館 (市文化財資料 第49号)
- 1932年公州(공주)からテジョンに忠清南道の道庁が 移転してきて建てられた忠清南道知事の公館であ る。現在まで 知事公館として使われており、原型が 比較的よく保存されている。
- 位置 : 中区 大興洞 326-67 |
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2. 忠清南道官舎村 (登録文化財 第101号)
- 忠清南道知事公館の前に位置しており、 忠清南道副知事 や局長らが暮らしている建物が官舎村を形成している。
- 位置 : 中区 大興洞 326一帯 |
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3. 大興洞 ピョジョクジブ (登録文化財 第377号)
- 1920年代に建てられた建築物で、テジョンでは個人が 所有した住宅の中で一番古い近代建築物である。残念 なことに、アパート団地の工事造成のため、建築業者の 過ちで無断撤去され、現在は骨格だけが残っている。 テジョン市はこの建物を原型復元する計画である。 ピョジョクジブという名前の由来は、純粋な韓国語で 「屋の先が空に向かって尖っている洋館」を称する。
- 位置 : 中区 大興洞 429-4 |
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4. 忠清南道庁 (登録文化財 第18号)
- 1932年公州(공주)からテジョンに忠清南道の道庁が移 転され建てられた建物である。 現在まで 忠清南道庁として使われているが、2012年の 道庁移転に伴い、建物と敷地の利用方案について論議 されているところである。
- 位置 : 中区 宣化洞 287-2 |
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5. 旧.テジョン女子中学校の講堂 (市文化財資料 第46号) - 韓国固有の藁葺き屋根を連想させる、アールーヌー ボー風の曲線の屋根の線が特徴で1937年竣工した。 日帝植民地期にはテジョン公立高等女子学校であっ た。現在はテジョン生涯学習館のギャラリーとして使用 されている。
- 位置 : 中区 大興洞 418-1 |
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6.三省小学校 旧.校舎 (市文化財資料 第50号)
- 日帝植民地期に設立された最初の普通学校で、1911年 8月第1次朝鮮教育令公布に従って、現在の位置に「フェト ク公立普通学校」の名で建てられた。 現在、ハンバッ教育博物館として使われている。
- 位置 : 東区 山省洞 113-1 |
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7. 旧.朝鮮殖産銀行 (登録文化財 第19号)
- 朝鮮の純粋な民族資本で設立された漢城銀行を1918 年強制に撤去して、その場に朝鮮総督部の産業政策を 支援する金融機関である 「朝鮮殖産銀行」を1937年12 月設立、増築した。 現在は、ダビチ眼鏡屋が使用している。
- 位置 : 東区 中洞 92-1 |
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8. 旧.朝興銀行テジョン支店 (登録文化財 第98号)
- 漢城銀行が1943年東一銀行を合併して朝興銀行として 名を変更した。この建物は韓国戦争のとき店舗が消失さ れたため、1951年新築された建物である。 現在、 朝興銀行を合併した新韓銀行によって使用されて いる。
- 位置 : 東区 元洞 51-1 |
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9. 旧. 東洋拓植株式会社テジョン支店
- 東洋拓植株式会社は朝鮮銀行、朝鮮殖産銀行と 共に日本の朝鮮半島の経済収奪ために設立され た3大機構の一つである。現在の建物は1921年に 建てられたもので、個人所有になっている。
- 位置 : 東区 仁洞 74-1 |
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10. 韓国電力テジョン補給所 (登録文化財 第99号)
- 1930年竣工したテジョン地域の最初の近代的な産業 施設である。2階規模の発電所施設と3階規模の業務 施設が一つに繋がっている建築物である。 現在、韓国電力の電力線通信総合試験場として使用 されている。
- 位置 : 東区 仁洞 142-1 |
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11. 旧. テジョン刑務所 望楼 (市文化財資料 第47号) / 井戸
- 旧都心からはやや離れた牧洞に位置しており、1919年 5月テジョン監獄として設置されたが、1923年5月テジョン 刑務所として改称された。望楼の向こうには1919年テジョ ン監獄開設の当時、囚人の飲み水用として作られた井戸 が残っている。
- 位置 : 中区 牧洞 48-2 / 中区 中村洞 16-11 |