메뉴건너뛰기

YouMeKOREA  サイトです.

About Us

歴史
テジョン広域市について
4. 日本と縁の深い街

テジョンから百済の都扶余までは車で1時間、公州までは30分の距離である。

660年に新羅に攻められて百済が滅亡すると、王族や貴族の多くは海を渡り日本に逃れ九州や近畿地方に定着した。彼らは渡来人と呼ばれ、当時の日本に文字や仏教などを伝え文化的・政治的に多大な影響を与えた。

その後高麗が統一新羅を下して高麗王朝(918-1392 A.D.)を成立させたが、この時期には、大田地域の住民に対し忠誠心が薄く独立精神が強いという理由で厳しい差別政策がとられた。

朝鮮王朝(1392-1910)時代には金長生(1548-1631)、宋時烈(1607 -1689)、宋浚吉(1606-1672)などの有名な儒学者を輩出した。テジョン市の佳陽洞鶏足山麓には、 宋時烈(号は尤庵)が住んでいた縁の場所に複数の建物を復元して史跡公園が造成されている。

日本植民地時代の1906年にはソウルと釜山を結ぶ鉄道が開通し、テジョン駅が設置〔1905年〕されたことにより、多くの日本人が居住した。

テジョン駅近くの旧市街地には現在でも当時のものと見られる日本式の家屋が見られるが、近年再開発によりその姿を消しつつある。

現在はテジョンには400名程度の日本人が居住しており、留学生や国際結婚移民者の増加などで年々日本人の数も増えていっている。